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Special特集

COLUMN - 「赤坂オペラって何?」 -

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赤坂というと、オフィス街・飲食街というイメージをお持ちの方が多いかと思いますが、大正5年(1916)の赤坂といえば緑濃く閑静な山の手。10月1日、赤坂見附ちかくの古風な橋のかかる弁慶堀端に日本初のオペラ劇場「ローヤル館」がオープンしました。浅草オペラ誕生の1年前のことです。

帝劇の歌劇部を指導していたイタリア人、ジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシーが、帝劇歌劇部が廃止された後、私財を投じ映画館を買い取り大改造して創設。こけら落としの演目はオッフェンバック「天国と地獄」で、各国大使・公使を招待したので門前にずらりと馬車が並び、客席は紳士淑女で華やかだったそうです。
ローヤル館はハイカラな建物と本格的な演目で庶民のあこがれの的でしたが、あまりにも高額な料金と西洋そのもののスタイルは庶民の手の届かぬものでした。ローシーが手塩にかけた歌手たちは厳格な指導に耐えかねギャラの良い浅草へ流れ経営も破綻。「椿姫」を最後に、わずか2年でローヤル館は幕を閉じ、傷心のローシーは渡米しました。
しかし、ローシーがオーディションで見出しデビューさせた田谷力三は、日本人初のテノール歌手として浅草オペラの看板スターとなり、多様な浅草オペラの中でも本格的なものは「ローシーオペラ」と呼ばれました。

左:ジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシー、右:田谷力三


また、ローヤル館オペラの大阪公演で田谷の歌に魅せられて新国劇からオペラ界に飛び込んだのが藤原義江です。藤原はのちに赤坂に藤原歌劇団を設け、多くの花形歌手を輩出しました。ローシーのローヤル館オペラは、田谷力三から藤原義江・藤原歌劇団へとつらなる日本オペラの源流なのです。
私たちはローシーのローヤル館オペラを「赤坂オペラ」と名付け、私財を投じ真剣に熱心に日本人による本格オペラを創出しようとしたローシーの流した汗と涙に思いをいたし、彼が目指したように「上品で本格的」でありながら浅草オペラのように「楽しく分かりやすい」オペラを復活させ、若手オペラ歌手を育てる舞台としたいと望んでいます。
赤坂は日本オペラと藤原歌劇団発祥の地であったことを皆様に知っていただき身近な場所で安価に気軽にオペラを楽しんでいただきたいと願うと同時に「赤坂オペラ」を若手歌手の登竜門にしたいと考えて活動を開始しました。「赤坂オペラ」にご注目ください!


(文)
藤田(芥川)薫(ふじた(あくたがわ)・かおる)

プロフィール
日本教育史研究者。赤坂タウン誌に「赤坂寺子屋物語」連載。「赤坂の歴史を語る会」「赤坂青山歴史伝承塾」座長として、聞き書き『あの日あの頃』『あの日あの頃第2弾』取材・執筆・編集。フジテレビ「まごまご嵐」、NHK「ブラタモリ」、みなとケーブルテレビ「明治の赤坂・小学校事始め」出演。赤坂地区活性化協議会赤坂芸能祭委員会委員長。非常勤講師として「教育学」を講じる。



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